2004年04月16日
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祖母が96歳で天寿を全う・今になってようやく理解できる祖母の歴史的な立場

Written By: 川俣 晶連絡先

 母方の祖母が、96歳で亡くなりました。昨日は通夜に行ってきました。

 そこで、少し思い出話を。

それは子供の頃の思い出 §

 祖母との思い出は、子供の頃、里帰りする母に連れられて富山県に田舎に行った時のものが多くを占めます。祖母は、富山県で一人暮らしをして米を作っていました。一人暮らしというのは、夫に先立たれ、息子と娘が独り立ちした結果の状況です。

米作りの現場に接することの意義 §

 米を作っていた、というのは私にとってはとても重要なポイントでした。田舎に行くのは夏場が多く、つまり米が収穫前に実った状況を見ることができたと言うことです。私自身は、都会人ではありますが、こうして生々しい農業の現場に触れることができたということは、大きな収穫だったと思います。

 特に、印象深いエピソードがあります・どこかから祖母の家に戻ってきたときに、田んぼの中に祖母を見つけて喜んで入って行こうとしたところ、厳しく叱られました。いかに、稲が農家にとって大切なものであるか、それによって学ぶことができました。

 米は手間暇を掛けて真剣に作られているというのが良く分かりました。

だが、その印象は誤っていた §

 その米にまつわる印象も価値あるものではありますが、それが祖母であるという理解は誤っていました。今になって分かることです。

 祖母は、米作りをすると同時に、紡績工場で働いていました。一度、工場に連れて行って貰ったことがあります。

 単なるパート的な仕事、という印象しかありませんでしたが、今から考えるとそれは大いなる誤解と言えます。

 歴史の本を眺めて分かったことは、糸や布の生産ははるかな昔から女性の行う重要な仕事であったことです。そして、女性は自らそれらの生産品を売ります。自分の才覚でビジネスを行うことになります。それらを売ることによって得られた収入は女性の私有財産となり、時として夫に利子を付けて貸し出されることもあるようです。たとえば、室町時代あたりには、街に出て商売をする女性というものも、珍しくはなかったようです。売る対象が糸や布ではありませんが、映画「もののけ姫」でも、市で米を売っている女性が出てきます。あれもそのような女性達の一人ということではないかと思います。

 そういう歴史的な文脈から見ると、紡績の仕事を行うと言うことは、女性が夫に依存しない経済的な基盤を獲得するという意味合いを感じさせます。

 更にもう1つ。文明開化の時代、製糸工場で働く女工達は悲惨な境遇であったという話があります。これも女性と糸に関係する話です。しかし、彼女らの労働条件が過酷であるというのは、現代の労働条件と比較しての話であって、彼女らが自分の家にいて働く場合と比較する場合、必ずしも過酷ではないという話もあるようです。つまり、家にいても働いても、製糸工場で働いても、過酷さは変わらないと言うのです。むしろ、給金が出て、休日もある製糸工場の方がずっとマシであるという感想を残す女性もいるそうです。つまり、製糸工場で働く女工は、自分の意志で使うことができる金と、それを使う時間を持っていたが、家にいる女性は必ずしもそうではないと言うことです。そして、工場で労働して、給金と休日を得た女性が、その後の女性の自意識の獲得と立場の向上の運動への出発点になる、というような話もあるようです。

 そういった話をバックグラウンドに据えて、もう一度祖母のことを思い返すと、確かに様々な逆境を自力で切り抜けてきた強い女性像が浮かび上がってきます。

 そんな話を母にすると、祖母はある程度学歴もあって、知的にも優れていたと言っていました。歴史の話で、(とんでもない人格で親戚筋では有名だった)父方の祖母をやりこめたこともあると言います。

 これらの話をまとめると、単に農業をしている女性、という切り口で祖母を見ていた自分が、いかに情けないか、しみじみ思われます。そして、その祖母も今はもうこの世の人ではありません。